鹿の鳴く声を聴く
鹿が鳴く声を初めて聞いたとき、姿を見たのではないのに、鹿が鳴いていると思ったのでした。狐でもなく、鳥の鳴き声でもない。何かの獣が鳴いていると思ったときに、この声は鹿が鳴いているのだなと思えたのは不思議でありながら、それ以外の答えが当てはまることはないと思える確かさを感じたことを思い出します。
高く、長く鳴く声は、聴く者の心に響く力がありました。どこか惹かれ動かされそうでいて、でも留まって聴耳を立てたくなるのです。
しばらく経って、古今集にある歌を知りました。
奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の声聞くときぞ秋はかなしき 読人知らず(古今集)
「ことばの歳時記 山本健吉 角川文庫」
歌をよんだときに、秋が深まってくると聞こえるあの鹿の鳴き声を思い出しました。
声に耳と心を引き寄せられるような声を聞いて、そこにある自然に自分が何を思ったのかがあらわれてくることばの力がありました。この歌はだからこそ人々の心に継がれてきたのでしょう。私が惹かれた鳴き声にこの歌で出会うことができたとき、時空を超えてその声を聞いた人とつながることができたように思いました。
現代社会の山里では、山から下りてくる鹿を遮るために畑や田んぼの周りには網等が掛けられています。以前は特に夜になると道を歩く鹿に出会うことがよくありました。ふと夜道で出会ったときの鹿は大きく、そんな鹿とぶつかってしまった車が道の端に凹んだ車体をそのままにして迎えを待って置かれていることがありました。今は以前ほどには見なくなりましたが、山際の畑では農作物を食べられたという話は後を絶ちません。少し山の奥に入る道では、夜に鹿の群れにあうことがあります。
鹿の眼のわれより遠きものを見る 高木石子
「俳句歳時記 秋 角川書店編 角川書店」
鹿と私たちの生活する社会の在り方、これらをどのように考えていったらいいのか、鹿は様々なことを問いかけているようにも感じるのです。