言葉って不思議だなと思います。
言葉を言う人のなにかが、ちゃんと言葉に乗って聞こえてくるのですから。
文字にして表されたのを読むときと
その人が自分の声で言うのを聞いたときでは、
言葉から受け取れるものが違ってくるのです。
同じ言葉であっても
言葉にして言う人が違うと、違う意味合いが乗って聞こえてくることがあります。
う~ん
言葉が不思議なのではないのかもしれないですね。
言葉そのもののことではなく、
人が言葉にするということの言葉以上のなにかを思い出すことなのかも。
言葉は人が言うことによってあるということを忘れてはいけないのでしょう。
言葉と文字で表すことの違いを思い出すことが大切でした。
言葉
ことば
ことのは
文字があってそれを読んだのが言葉なのではなく
言葉を文字で表して伝えてきたのでしたね
文字をして考えることが先なのではなく、人が生きることから発したのが言葉でした。
前置きが長くなりました。
「生きているあいだは生きるから」
これは、最近になって父が言い出した言葉でした。
90歳の誕生日を迎えた父が、ここ最近、自分の人生を終結に向けて話すときに必ずと言って良いように言うのです。
「生きてるあいだは生きるから」
自分自身に言い聞かせるように、そして、私に言い聞かせるように。
少し前は、自分の人生を幕引きに向けて「死」を前提として準備をするような言い方をしていました。自分自身と私たちに準備を促すような言い方は、わかっているようでいて、戸惑いが大きくなるのを感じていました。何かを探り続けている途上にある治まりの悪さを引きずっていました。それが、終結に向けての準備の話をしつつも、あるときから変わったのがこの言葉でした。大方の話は変わらずとも、この言葉が変化を伝えていました。
「生きているあいだは生きるから」
この言葉に出会ったとき、「おや?何が変わったのだろう。」と思い、父の中で何かが定まったように聞こえました。しばらく考えてみて思い当たるのは、ある出来事が父にとっての生きることと人生を終えることへの強い衝撃となっていることでした。簡単には言葉にできない多くの感情と振り返りを重ねているのを感じるのです。
この言葉を自分の中で紡ぎ出したとき、
この言葉を自分自身の言葉として声に出して伝えたとき、
父の中で起こっていることを思います。
説明することができないようなことを抱え向き合っているのでしょうが
この言葉を聞いた私は、心の中で妙な力が抜けていくのを感じました。
時の流れに向き合いそこに立つありようが変わっているのを感じるのです。
僅かな言葉の違いですが、それを言う人の在り方が言葉として伝わってきました。
そう、生きている間は生きるのだからね。
私も、自分自身に向けてそう言いました。
言葉はかくも不思議なものかと、自分自身が言葉をどのように紡ぎ出しているかを、改めて考えさせられています。