花明かり

「花明かり」
資料を整理していたら、以前「子どもが育つ姿・大人の役割」というテーマで話をした時に使った岡部伊都子さんの文章が出てきました。
今読み返して、胸に響くものがあり、ここに紹介をしたいと思いました。
岡部伊都子さんの「花明かりゆらめく」(沖縄石嶺図書館会館記念講演)から抜粋して紹介します。

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 このろうそくは京都のろうそくの老舗が、消防局が昔のろうそくやと仏壇から出火する場合が多いので、そんなもんはつくるな言うてきた。だから、こういうものを考えましたいうて、もう十年か、もうちょっと前になりますね、こういうひとつのろうそくの玉を持ってきてくださって、眼の前で水をはったところへ入れて、「やあ、どう思いますか」ってね、「いいですね、つくられた炎の電気セットではなくて、ゆらゆら揺れているところに命を感じますね、すてきやわ」いうたら、「これに名前を付けてください」といわはったんです。
 応接でこれをおいたまま、立ったり座ったりして、お茶をいれたりしながら、「花明かりって、どうですか?」いうたら、「ああ、いいですね」いうて、それで、“花明かり”になっちゃったんですの。
 花は咲くと、そこに明るい色が生まれて、夕方になってもボーっと明るい場合があるでしょう。いろんな美しい花がいっぱいあるけれども、・・・・(略)・・・ユウナの花やったら、夕闇の中にちょっと花明かりが残るんですよ。
 わたしは、それぞれの人がそれぞれの花で、生きているあいだ、ご自分の光を放たれることを“花明かり”と名付けているんです。
 そういう“花明かり人”が、気がついてみると、おびただしくいらっしゃる。それを喜んでいます。そのなかの一人でありたいと思っています。
 みんな自分の花を光にしましょう、自分の命を輝かせて、どうぞ人類のために、世界のために、小さいお人たちのために未来をつくってください、そのお力でいらしてください。
 小さな人たちを見ると、もう小さいながらに、ちゃんとそなわった文化と風土の喜びを全身に受けておられることを、非常に貴く意識する、感じるものですけど、風土なしにひとはないんです。
 わたしも小さかったときがあるんだから、その小さかったときから、周囲の大人、周辺に見るもの全部が、私にとっての学びでした。小さな人の目に見られて、いやな表情をしないでください、「ああ、このお母さんの顔みてよかったね。このお父さんの顔みてよかったね」といえるような親の顔であってください。
 (略)・・・「あいつらは・・・」とか、「ナニナニのくせに・・・・」とか、その他を差別する顔は自分の人格を踏みにじるものです。自分を否定するものです。自分を破壊し、そして人を殺すものです。どうぞ、人を生かし、自分を生かし、喜びを生かす、そういう美しい表情の、せめて小さなお人の前だけでも、その努力をできる力を失いたくないなと、いまでも思っています。
 だから、小さなお人に出会うと、小さかったわたしがそこにいるような気がして、「ああ、わたしは大人のこんなええ顔うれしいな」と思うたことを思い出して、そのお子さんの前だけでもうれしい顔をしていたい。自分は自分の花明かりを灯したいと思っております。
 世界中の苦難と戦っておられる仲間のみなさまに心からの讃嘆を、“花明かり人”のみなさまに暑い感謝を申します。
 どうぞよき未来がつくられますことを念じまして・・・・・(以下諸略)・・・・

          《「沖縄の骨」岡部伊都子 著  岩波書店  から》
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