卯の花 ・ 空木の花

つながるいのち・自分自身が生きる体とつながる

懸命に生きていた日々。誰もが皆、自分自身の人生を懸命に生きている。その自分が、どうして自分の体を生きるということから離れているなどと考えられるだろうか。私自身は、もどかしくありながらも実に、もがきつつ、自分の体から離れていたことを、病気を通して知ることになったと感じている。つまり、病気を通して、自分の体を生きる自分自身、を、つかんでいくことになった。ようやく、自分の人生の主人公になろうとしているような感じがする。病気は進行中。ただいま63歳。なんと時間がかかってしまったことか。しかし、63年をかけて掴んできたことの意味は大きい。人には、人生そのものを通して得られるものがある。

つながるいのち とは、いくつかのつながりを意味しているが、そのなかの一つであり、一人の人を見たときには先ず外しては考えられないのが、自分自身とのつながりである。自分が自分を生きているということ。そこには自分自身の体と生きてつながっていることが大前提となる。あたりまえでありながら、現代社会では容易に乖離していくこともよくある。
 ここでは、私自身が自分の体とどのようにつながってくることになったか、自分の病気を通して体験し、感じたこと、考えたこと、わかってきたことなど、振り返りながら整理してみようと思う。少しずつ、思い出すままに年代も行ったり来たりしながら、気ままに書き続けてみることにする。

強直性脊椎炎 そして 軸性脊椎関節炎 

幼いころから、あまり体力はないと感じていた。痩せていて小さな子どもだった。冬になると手や足はかじかんで冷たくなるのが常だった。他の子が、ぽかぽかとあたたかな手をしているのを知った時、どうしてそんな暖かい手をしているのか不思議だった。夜寝るときの布団の中で、足が冷たくて、なかなか体が温まらずに泣いていたこともあった。それでも、あまり大きな病気もせず、根っこは丈夫なんだと思っていた。小学校では、体育館での集会などで、しばしば立ち眩みを経験し、座り込んでしまうような子だった。朝起きるのが苦手で、流行り言葉のように「低血圧なんです」といって納得していた。そんな自分の体との付き合いは、自信の無さにもつながりやすいところがあった。 
ぴょ~んと、時間をとんで、30代終わりごろから40代は体調がすぐれなくなりだるいと感じることが多くなった。4人の子どもを育てながら、それぞれの子どもたちとの日々に明け暮れる中で、自分の体が思うように動かなくなる感じを自分の至らなさとも弱さとも思うところがあった。それでも何か違和感を感じて病院へ行くと、血液検査などでの異常はなく、運動不足や気持ちの持ち方に落ち着く。時に痛みを伴うこともあり、だるさはますます強くなり、また少しして受診するものの、若年性更年期と言われたり、精神的なものと言われたり。リウマチを疑い検査するも結果には出ないので、「気持ちの問題」に落ち着き、私が自覚する辛さは、検査結果上『ない』ものとなる。この時期が数年にわたり、自分自身が彷徨う感じがあった。何を信じていいかわからなくなる。自分自身の感覚と状態をなんとか改善したいと思い、助けを求めれば求めるほどに自分の状態を否定する結果につながる。その繰り返しの中で、体の状態は実際にはつらくなっていく。この数年間の中から、私は、自分自身の状態を見て感じているのは誰なのかと、問い続けることになった。検査結果に出ないからこの状態は『ない』とするのは、自分自身を検査結果に明け渡すことになるのだから、結果はそのまま検査の結果であり、自分は自分の状態に責任を持つことに向き合うしかないと。この過程にある経験については、また後日振り返ることにする。

今から9年前、ある病院でMRIで仙腸関節に所見が認められ「強直性脊椎炎」と診断を受けた。その後、「軸性脊椎関節炎」にしましょうと伝えられ今に至る。今は、痛みと炎症に「インフリー」、そして、胃の薬「レバミピド」を朝夕一錠ずつ。薬を飲んでいても痛みは常にあり続ける。でも、何かやっていると忘れられるくらいの痛みで、また動いていると比較的調子がよくなる。この薬を使いながら日常生活を送り、仕事に向かうことができている。痛みを感じ続けこわばりが溜まる部分に温湿布をたまに使い、全体に痛みを感じて辛くなると寝るときに「トラムセット」を飲んで眠る。この頃、痛みが増してきた。この冬はいつもより肌の状態が悪く腰や背中、肩、ひじの乾癬が強く表れた。これからは、今までと少し違う痛みとカサカサ痒い肌に、注意を向けてみようと思う。自分自身のありようをみつめていくポイントにきているかもしれない。

体からのメッセージを受け止めて生きていく

診断がついたことで、自分自身に納得がいくところができたが、決して終わりではない。それから、改めて、意識的にこの体と向き合うことが始まった。

自分自身の体が伝えているのは、私自身へのメッセージなのだった。この痛みを、こわばりを、だるさを受け止めて対処するのは自分自身なのだ。そのメッセージを受け止めると、呼吸や動き、生活をその自分に合うように作ることになる。自分が生きていくために身体の状態を整えるための方法と流れを作ることになる。気持ちを大切にするためにやることが見えてくる。自分はどんなふうになりたいのか。少しずつ自分をわかってあげる、そのためのメッセージを自分が自分自身に伝えようとしている。

時間はかかるけれど、わるくない。

そして、以前よりも姿勢がよくなった。以前より明るくなった。以前より、自分を生きるようになった。痛みはあり、体の状態は静かに進行しているにもかかわらず、決して悪くないと感じている。自分の体と感覚を大切にするようになった、ならざるを得ないから、ありがたいと思う。

この病気は私の経過を少し見てもわかるように、多くの場合診断までに長い期間を要していることがある。同じ診断名が付くような場合でも、一人一人の状態と経過は同じではない。それでも、同じような病気で苦しんでいる方とその周りの方々にすこしでも役立つことがあればと、不定期だが、少しずつ書いていこうと思う。