
山笑う
山懐(やまふところ)に住むようになって何十年も経つというのに、こんなにも私が春の山々に魅入るのはこの五、六年のことのように思うのです。毎年、本当に美しいなあと山に見惚れます。秋も夏も冬もそれぞれに美しい山々なのですが、春のこの時期は格別の感があります。
ずっと以前も目にしていたのでしょうが、日々を仕事や様々な事柄に負われるようにして過ごしていたときには、ただ通り過ぎていくことになり心を動かすことにまでは至らずにいたのかもしれないです。
この頃は、毎年まるで新しいことに出会ったかのように、こんなにも春の山々が生き生きとしているのかと感じられるのです。
ここから見える山は落葉樹が多く、冬には葉を落とした一本一本の木々が寒々として、幹と枝の間から透けてその下に山肌があるのが見えるほど。実際に大きな生き物が動くと見えるのだろうと思います。
春先、山肌の雪が溶けてなくなり、やがて山の木々の先が少しばかり何かを得たように存在を感じさせるようになります。その頃は、まだハッキリとは分らないのですが、近くにある木々の枝を見ると芽吹きの膨らみを観ることができます。
それから幾分経って、山々が少しずつ膨らんでいくように感じられます。山が膨らむ感じがするのです。実際に山が大きく膨らむのではないのですが、木々を含む山の全ては膨らむのでしょう。そして枝から出てきた若芽の萌木色が徐々に広がって山に色をつけていきます。
もこもことした木々の枝を覆う葉の膨らみが山々をパッチワークのように覆い始めると、山はいのちの纏で彩られます。
この時期、山々を見るとなんともいえない明るさを感じて晴れ晴れとした喜びが伝わるようです。それは一体何なのだろうと思いを馳せたくなるのです。いのちがそこにある喜びでしょうか。山を見ている私自身が一緒になって喜びの輪の一員に加えてもらったように感じてしまいます。なんだか体中が、心が、うれしいのです。
山笑う
「春の山の明るい感じをいう。北宋の画家郭熙の『林泉高致』の一節に「春山淡冶にして笑うが如し 夏山碧翠として滴るが如し 秋山明浄にして粧ふが如し 冬山惨淡として眠るが如し」とある。」 俳句歳時記・春・角川書店
山笑う
ほう~と、笑わずにはいられないいのちがあるようなのです。自分の内側にあるものが共鳴して笑っているのを感じるのですね。
山笑う季節を感じる事が出来るのを有難いとおもい、また山を見たくなります。何度も見ては、ほう~と、笑っています。
故郷やどちらをみても山笑う 正岡子規
