今、改めて考えてみたい・ことばの力と心が育つときのことを

<<今・改めて考えてみたい・ことばの力と心が育つときのことを>>

201303102022

 私たちは、毎日の忙しいくらしの中で、人とゆっくり向かい合って話をする時間がどれくらいあるでしょうか。事務的な事柄ではなく、心と心をまっすぐに向かい合わせて語ること。うっかりすると、忙しさのあまりに時間に追われて一日が終わってしまうことがあります。

ちょっと考えてみませんか。

人が生きていくために大切なものって何でしょう。

空気、水、自然、食べ物、友、・・・・?

たくさんありそうですが、今は「ことば」というふうに考えてみませんか。

 人は体で感じたことをことばで認識し、ことばで考えます。ことばがなかったら、体で感じたこともそのまますぎて終わってしまうでしょう。ことばがなかったら、人は知ることも、学ぶことも、考えることも、人と愛を育てることも、友と友情を育むことも、人生を楽しむこともできないでしょう。人は、ことばを得ることで、より人間らしく生きていくことができると言ってもいいほどです。

 ことばはただの記号ではなく、意味や状況などを含んだ力をもったものです。機会が発することばは記号だけのものですが、本来、ことばは人のもので、人が発することによって意味を持ち、力を発揮するものです。

 ところが、このごろ、そのことばが力を失いはじめたのを感じるのです。ことばが記号として頭の中を通り向けて、心に届いてないのを感じることが多くなりました。

どうしてなんでしょう。

 お話の会で昔話を語るときや絵本を読みきかせするとき、私は、「ことば」「語るということ」「聴くということ」が、人の心にどれほど響きあうものかということを、すこしでも多くの人にご自分の心で感じとってもらいたいと思っています。

 語るということは、何も特別なことではないのです。少し前までは、自分の生きてきたことを、年老いた者が若い者に、また、めずらしい経験をした者がそのことをみんなに語ってきかせたように、普通にあちこちにあったことなんです。

 でも、今、それはテレビ等のメディアを通して語られることが多くなり、その情報によって満足してしまうことが多くなりました。

 語るということは、語る人も、聴く人も、ともに育ち合うことができます。語る人は、聴き手の反応によって、自分のことばの持つ力を知り、より豊かに広がることを感じることができます。ところが、テレビでは、語り手と聴き手が育ち合う関係をつくり出しにくいのです。とくに、幼い子どもたちにとっては、ことばが心に届かないまま流れ込んでは通り過ぎていくだけになります。テレビを見る時間が増えると、反対に人と向かい合って目をみつめ、心をみつめ、ことばの力を感じ、育ち合う機会が少なくなります。このことの影響がどういう形で出てくるものか。ここ数年来、子どもの問題が様々に論じられるのを見聞きしても、とても心配になります。

 ことばの力を失いつつある人は、心をどうやって育てていったらいいのでしょう。私自身のことを振り返りつつ考えさせられます。

語ること は 自らを 心のままに人に示すこと。

聴くこと は 人の心をまっすぐに見つめ感じる心を育てること

語るとき、聴くとき は 心と心がふれあう豊かで幸せなとき

そして、 日々の生活の中で、人との関わりの中で、 ことばと心は育てられ、力を持っていくものだと考えます。

  じっと 人の声に 耳を傾けることが

  しずかに語りかける目をみつめることが

  こんなに心にしみることを

  こんなに心を満たすことを

  知ってほしいのです

     くらやみに ゆれる あかりに

     人の心は なごみ よりそい

     しずかに ほのほと ゆれます

  わたしたち おとなが

  人が 語りかける ことばと

  わずかな ともしびを 大切にしたら

  きっと 子どもたちのまわりにも

  しずかなときが 流れることでしょう

  そのことを願っています。

    さあ、お話が、いま はじまります。          1991年11月24日 

(1991年11月の文章です。少し手直しをしましたが、ほとんどそのまま。30年以上前のものですが、今も変らない思いがあることに気づかされています。)