伊藤紀子さんの講演記録②
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私自身、語りというのは高校生の時からしていました。日曜学校があって、小学生の人たちにお話をしたことが、私が人に語るようになった初めてのことでした。ですから、もう二十数年語りっていうことにこだわってしているんですけれども、あがたの森では「お話の森」っていうお話しの会を毎週していたんです。
私たち図書館員と子どもたちの関係っていうのは本の貸し出しのあのカウンターが第一線になるんだけど、小さい人たちにとっては、あのカウンターとの距離というのはとても大きいようです。でもいったん「お話の森」でのお話をきいたり、絵本を読むのをきいたりすると、その距離がぽーんと無くなっていく。
すごく顕著な例があるんですけどね。原村というところがありますね。あのペンションがいっぱい建っているところに友だちが保母をしておりまして、彼女が保育園でお誕生会をするから一日保育園に来てくれないかと話がありました。それで、じゃあ行きましょうっていうことで、私も八時半までに登園して給食食べてお昼寝して帰ってきたんですけれどね。で、一番最初に3歳の子どもたちのお部屋に行ってお話をしました。三つのお話を用意したんですが、もっとやれもっとやれって言うので、五つやったんだけれど、まだやってほしいっていうんです。でも、4歳、5歳の人たちに話さなければいけないから、じゃあお昼寝の時するねって言って、なんとか解放してもらったんですね。そしたら、そこにいた子どもたちが終わった後、わーっと私のところにとんできて、もてるだけのところを手を握ったり洋服をにぎったりして、ぞろぞろぞろぞろ4歳の子たちの部屋についてきたんです。それでね、ある女の子が友人に連れられてきて「伊藤さん、この子があなたのことをさわりたいんだって。だから、さわらせてやって」といって、さわって彼女は満足して帰っていたんです。後で聞いたら、そこにいた3歳の子どもたちは全部後にくっついて4歳の部屋まで来たそうです。
小さければ小さいほど楽しさを共有するってことを、もう体中で、こう喜びを表してくれます。さわりにくるってことは顕著な例です。楽しみの共感ってことがね。今日初めて会ったおばちゃんなのに、そうやってわーっとついてくるという。それくらい親しみを感じさせてくれるもののようです。なんか魔法みたいだなって私は思うんですけども。そしたら、なにも3歳という小さい人たちのことではなくてもね、似たようなことがあるんです。
松本、塩尻の地区は15校の高校があるんですけども、その高校の図書委員の人たちが、ちょうど秋、11月頃、正副委員の交替の時期になるんです。そうすると毎年どこかの当番校が率先して読書会を開いたりするそうですけれども、その年はちょうど松本の第一高等学校が当番校だったんです。その担当の先生から「いつも伊藤さんがお母さんたちに話している話を高校生に話してくれないか」という申し入れがあったんです。私はそのころ高校生との付き合いがなかったものですから、何回かお断りしていたんです。けれどとっても熱心な先生で、考えてみれば彼らも将来お父さんお母さんになるだろうから、だったら今からそういう話をきいてもらうのもいいかなと思ったし、また私自身がなぜ司書っていう職業を選んだのかという話も参考になるかなと思いながら、なんとか受けました。
そしたら、当日、先生がお迎えに来て下さって、車の中でね、こんなふうにおっしゃったんです。「伊藤さんね、この頃の生徒たちは実は45分とか50分という授業の中でね、最初のまあせいぜい20分くらい静かにしていればいい方で、あとはワサワサガヤガヤ始まるんだ。今日は伊藤さんの持ち時間が2時間あるんだけれども、もし、生徒たちが途中でワサワサしたとしても、普段授業の時がそうなんだから、めげずに最後まで話をして下さい。」と、こう言われたんです。私は、ますます緊張して行ったんですね。昔話の面白さということをテーマにお話もときどき実演を入れながら、1時間と15分くらいぶっつづけで話をしました。
生徒たちは本当に水を打ったように静かにきいてくれたんですよね。5分休憩を入れた後「今子ども時代を送っている人たち、こんな絵本を読んでいるのよ」ということでね「きかんしゃやえもん」とか「おさるのジョージ」3シリーズ、とか「ぐりとぐら」とか「3びきのやぎのがらがらどん」とか「おおきなかぶ」とかね。まあ考えてみれば、出版されて20年くらいの絵本を持って行ったんです。そして、ブックトークしながら手渡していったらね。みんなむさぼるように読んでいたんですよね。大きな高校生たちが。
講演が終わりました。終わったらね、わーっとね来たんです。「伊藤さんが今日話してくれたあの話はね、よくおばあちゃんがしてくれたよ。」「この絵本はよく保育園の先生がよんでくれたの」とかね、お話とか絵本にまつわる彼らの思い出を一生懸命私に話してくれるんですよね。彼らは体は触りませんでした、私の体は。けれども、彼らの喜びは、そういうふうに表してくれたんだなって思ったんです。その後、何人かの高校生は、あがたの森に来るようになって、いろんな大きなイベントの時には率先して手伝ってくれるようになったという関係も生まれたんです。
そしたら、先生が帰りの車の中でね、「やー僕は今日ビックリしましたよ。」とおっしゃるんです。「僕は一番後ろからね、生徒の様子を見ながら伊藤さんの話をきいていたんだけれども、どうも彼らは伊藤さんのお話を納得しながらきいていたように思うんです。僕たち教員は、気をつけているんだけれども、どうしても上から子どもたちを睥睨(へいげい)するような形でしかものが言えなくなっちゃっているんだけれども、今日は、伊藤さんが彼らと同じところで話をしてくれたのが彼らにとって印象的だったんでしょうね。」というふうにお話をして下さったんです。
それで、お話とか絵本を読んでもらうということがね、そんなふうに親しみをお互いに、聞き手と語り手に親しみをもたらしてくれるのかなと思いました。
私は、あがたの森で6年働いて、その前に岡谷の図書館に4年いたんです。昨年の今頃です、一人の若者がピンクのスイートピーと白いかすみ草の大きな花束を持って訪ねて来てくれたんですね。「僕のこと覚えていますか?」って低い声で言ったんだけれども、私は全然覚えてなかったんです。そしたら、後ろに諏訪の高校の図書委員の人たちが司書の先生と一緒に来ていたんです。「あれっ、あれっ?」私が岡谷の図書館にいたときの「お話の森」に来た子ども、お話の森では、お話のろうそくをつけて話すんだけれど、そのろうそくを消した子ども、それから、本なんか全然借りないけれど毎日図書館に遊びに来ていた子どもとか、その彼らが皆成長してニッコリと笑って立っていました。「僕たちは、お話の森育ちなんだよ。」と言ってね、わざわざ訪ねて来てくれたんです。私が3月いっぱいであがたの森をやめるということをどこかで知ったらしくって、駆けつけてくれたようですけれども、とても感激しました。図書館の仕事って、こういうものなのかなあって、私思ったんです。
本を読んだり、お話を聞いたりすることは、明日役に立つってことではないんだけれども、さっき言ったように、祖父が「おお可愛や」とまるごと包んでくれたことが意外にこの年になって支えになっている。そういうものかなあと思いました。つまり、少しずつ積み重ねていくうちに、それが意外に力になっている。
彼らと私の出会いは十年前なんです。十年前の出会いが花開いたというかね。彼らは本を読むのはもちろん好きですけれども、それだけじゃなくって本から広がっていくいろんな世界、つまり、いろんな楽しみ方を獲得した高校生になっていました。
だから、お話とか本を読むということは、そういうふうに、楽しみ方が人生においていろいろあるんだよということも伝えてくれるのかなと。やっぱり、私たちの仕事は十年、二十年という単位で考えていくゆっくりとした仕事なんだなと。私は公共図書館員でよかったなあと、そのときしみじみ思ったんですね。
私は学生の頃ドイツ語を専門に勉強したんです。ドイツの楽しいいろんなお話を日本の子どもたちに翻訳したいなって、それをライフワークと思っていたんです。でも、やっぱり、いきいきした言葉で子どもたちにお話を伝えたいなと思ったのもだから、だったらいつも子どもたちが、その子ども時代をおくっている人たちの側にいた方がいいんじゃないかな、その方がきっといい翻訳が出来るに違いないと考えたんです。じゃあ幼稚園の先生もいいなあ、小学校の先生もいいなあって考えていったんですね。けれども、子どもって周りの大人たちに結構気をつかいながら生きているでしょう。お母さん喜んでくれるかなとか、お父さん喜んでくれるかなとか、そうやって気をつかっていきているんですよね。そうじゃなくて彼らがそういうものを全部取り去って彼ら自身がいきいきと出ているところはどこかと考えたときに、あ、これはもう公共図書館だと思ったんです。だから学校を出てしばらく勉強して、それでライフワークは翻訳と決めて、私がもう一度大学で司書の単位を取ろうと思ったのは27歳の時でした。そして、その後ずっと図書館員として働いてきたんですね。翻訳なんてもう公共図書館に入ったらいつの間にかぽーんと忘れちゃって、今は、私のライフワークは図書館員ですと言っています。それくらい図書館の仕事っていうのは楽しいんですよね。
次に続く・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・